ちょっと行ってくるけん。
私が粉骨を選んだのは、偶然ではありません。
そのような供養の方法があると初めて知った時、
「それだ。」
そう思いました。
私には、どうしても叶えたい願いがあったからです。
私は母子家庭で育ちました。
母は昔から胃腸が弱く、
何度も入退院を繰り返していました。
だから私は、
結婚するとき、一つだけ条件を伝えました。
「母と一緒に暮らしたい。」
主人は何も迷うことなく、
「もちろん。」
と言ってくれました。
主人が貯めていたお金と、
私の貯金を合わせ、
小さな二世帯住宅を建てました。
やがて子どもが生まれ、
母は毎日うれしそうに孫の世話をしていました。
まるで昔から夢見ていたような、
優しいおばあちゃんでした。
そんな母は、
ことあるごとに言うのです。
「ありがとうね。」
「本当にありがとう。」
私はそのたびに笑っていました。
「そんな他人行儀なこと言わんでよかよ。」
「母さんらしくなかけん。」
それが、いつもの親子の会話でした。
この暮らしが、
少しでも長く続けばいい。
そう願っていました。
でも、
母の病気は再び姿を現しました。
入院の日。
孫の頭をなでながら、
母は笑って言いました。
「ちょっと行ってくるけん。」
「すぐ帰ってくるけんね。」
私は先生に呼ばれました。
「今回は……
長くはないと思います。」
そう告げられました。
それでも私は、
母には何も言えませんでした。
数日後、
母は気づいたのでしょう。
「家に帰りたか。」
そう言って聞きませんでした。
先生も困りながら、
「分かりました。」
と言ってくださり、
自宅へ戻る準備を始めてくださいました。
でも、
家へ帰るはずだった、その前の日。
母は静かに旅立ちました。
私は今でも思います。
あの日、
母を家へ連れて帰れなかったことだけが、
心残りです。
だからこそ、
粉骨という方法を知った時、
私は迷いませんでした。
ようやく母を、
家へ連れて帰れる。
そう思えたのです。
今、
母は小さなガラス瓶の中で、
食卓のそばにいます。
朝の「おはよう。」
夕食の「いただきます。」
孫の笑い声。
主人との何気ない会話。
そのすべてを、
母はあの日と同じ場所で見守っています。
時々、孫が瓶に向かって話しかけています。

「ばあば、今日ね。」
その声を聞くたびに思うのです。
あの日、
母は家へ帰れなかったのではありません。
少し遠回りをして、帰ってきてくれたんだ。
今日も母は、
私たちと一緒に団らんしているのだと。
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