実は、お恥ずかしい話ですが、
母が亡くなったあと、
相続のことで少しもめてしまいました。
私は長男です。
姉が一人います。
父は先に亡くなり、
その後、母も旅立ちました。
私は建設会社で技術職をしていたため、
全国を転勤して回る暮らしでした。
一方、姉は結婚後に離婚し、
子どもを連れて実家へ戻り、
母と暮らしていました。
だから私は、
どこか気楽な立場だったのかもしれません。
今になって思えば、
親孝行らしいことは、
何ひとつできませんでした。
でも、一つだけ。
母は私の転勤先へ、
必ず一度は遊びに来てくれました。
転勤して落ち着いた頃になると、
決まって電話が鳴ります。
「どうせ散らかっとるやろ。」
「様子見に行くからね。」
足が悪かった母です。
私はいつも言いました。
「母さん、そんな無理して来んでもええのに。」
すると母は笑いながら、
「私の趣味みたいなもんやから。」
そう言うのでした。
初めて歩く町。
知らない商店街。
スーパーをのぞいては、
「やっぱり海が近いから魚が安いねぇ。」
そんなことを言って、
子どものようにはしゃいでいました。
あの頃は、
当たり前だと思っていた時間が、
今では何よりの宝物です。

母が亡くなり、
四十九日を終えた頃でした。
姉が言いました。
「長男なんやから、お墓はあんたが守る立場やろ。」
実家は、
姉の子どもたちも暮らす家だから、
動かせないというのです。
預金のことを尋ねると、
「葬儀で、ほとんど使った。」
そんな返事でした。
父が残した株や預金も、
母は生前、自分たちの暮らしのために使っていました。
私は、それを責める気にはなれませんでした。
母らしいな。
そう思っただけでした。
ただ一つだけ、
お墓のことは、
姉と二人で話し合いました。
お互いが無理をしない形で、
半分ずつ費用を出し合い、
墓じまいをすることに決めました。
父も母も、
粉骨していただきました。
今は、
二人とも私のそばにいます。
仕事の都合で、
私は今も各地を転々としています。
でも不思議なものです。
転勤先で新しいスーパーを見つけると、
思わず入ってしまうのです。
鮮魚売り場を見ながら、
心の中でつぶやきます。
「母さん、
ここも魚、安いで。」
すると、
あの懐かしい声が聞こえてくるような気がします。
「ほんまやねぇ。」
「ええ町やね。」
母は生前、
どこへでも会いに来てくれました。
だから、
私がどこへ行っても、
母がいつもそばにいてくれてるように感じるのです。

