少し前から、
故郷のお墓のことで頭を悩ませています。
「だいぶ草が伸びてるよ。」
親戚から連絡をもらっていました。
母の三回忌を終えてから、
なかなか帰ることができていません。
仕事が忙しい。
遠い。
理由はいくらでもあります。
墓じまいをすることまでは決めました。
でも、
そのあと母をどうするのか。
それだけが、
どうしても決まりませんでした。
「お父さん、今日なに着てくるの?」
体操服姿の娘が、
玄関から顔を出しました。
「普通の服。」
「普通ってなに?」
「普通は普通だろ。」
「変なのやめてよ。」
小学四年生にもなると、
ずいぶん注文が多くなります。
「お母さんもだからね。」
台所では、
妻がお弁当作りに張り切っています。
今日は娘の運動会です。
私は台所を通りながら、
できたばかりのおむすびを一つつまみました。
「ちょっと、まだダメ。」
「一個くらいいいだろ。」
一口かじりました。
「塩、ちょっと多くない?」
「運動会だから、そのくらいでいいの。」
その味で、
ずっと昔のことを思い出しました。
小学五年生の運動会。
私は母ちゃんに、
何度も頼んでいました。
「母ちゃん、絶対来てよ。」
前年の運動会は、
一人で持参した弁当を食べました。
友達が家族とレジャーシートを広げているのが、
羨ましくて仕方ありませんでした。
父は病気がち。
母ちゃんは、
市場で働きながら家を支えていました。
忙しいことくらい、
子どもながらに分かっていました。
それでも、
その年だけは来てほしかった。
午前最後の競技は、
五年生の百メートル走。
走るのには自信がありました。
練習では、
いつも一番。
母ちゃんに、
いいところを見せたかった。
でも、
何度探しても、
母ちゃんはいません。
もうすぐ自分の番。
来ない。
結局、
来ないんだ。
急に、
どうでもよくなりました。
結果は二位。
悔しい。
腹も減った。
母ちゃんも来ない。
昼休みになっても、
私は一人でふてくされていました。
もうすぐ、
午後の競技が始まる頃でした。
遠くから、
私の名前を呼ぶ声がしました。
一度ではありません。
何度も、
大きな声で呼んでいます。
周りの子も、
家族も、
みんな振り返りました。
校庭の向こうから、
母ちゃんが走ってきました。
仕事着のまま、
荷物を抱えて、
全力で走っていました。
「遅なって、ごめん!」
恥ずかしくて、
嬉しくて、
涙が出ました。
昼休みは、
もうほとんど残っていません。
母ちゃんの隣で、
おむすびを急いでかきこみました。

少し、
塩辛かったことは今でもおぼえています。
「次、四年生の百メートルだよ。」
妻の声で、
我に返りました。
スタート地点に、
娘がいます。
こちらを見ようともしません。
朝、
あれだけ言われました。
目立たないで。
恥ずかしいことしないで。
号砲が鳴りました。
娘が走り出します。
気がつくと、
私は立ち上がっていました。
「がんばれー!」
妻がこちらを見ました。
「がんばれー!」
もう一度、
大きな声で叫びました。
娘はゴールすると、
こちらを見て、
ものすごく嫌そうな顔をしました。
妻が笑いました。
私も笑いました。
家に帰って、
故郷のお墓の写真を、
もう一度見ました。
墓じまいをすることは、
もう決めています。
ただ、
その先だけが、
決められずにいました。
「なあ。」
「なに?」
「母ちゃん、こっちに連れてこようと思う。」
妻は、
「うん。」
と言いました。
墓じまいコンシェルジュより
味は、
不思議なものです。
忘れていたはずの一日を、
たった一口で、
思い出すことがあります。
そして、
自分が同じ立場になって、
初めて気づくこともあります。
あの日、
なぜ母があんなに名前を呼んで、
自分のところへ来てくれたのか。
墓じまいのあと、
すべてのお骨を一つの場所へ納めず、
一部を手元に残す方法もあります。
離れていた時間が長かったから、
これからは少し、
そばにいてもらう。
それもまた、
供養の一つの形なのだと思います。

