【その二十九】すき焼きの意味

三回忌を前に、久しぶりに実家へ帰りました。

「来たよ。」

「うん。」

母は台所。

父は居間でテレビを見ています。

父と母はほとんど話さない。

私も何を話していいのか分からない。

弟がいなくなってから、


この家はずっとこんな感じです。

そして、仏壇に置かれたままの骨壺。

その日、

台所から懐かしい匂いがしました。

牛肉、焼き豆腐、ねぎ、春菊、しらたき。

すき焼きでした。

弟がいなくなってから、


この家ですき焼きを見るのは初めてです。


弟は、

「好きな食べ物は?」

と聞かれると、

決まって、

「すき焼き。」

と答える子でした。

ほかにも好きなものは、


いくらでもありました。

それでも、

大好物はいつも、

「すき焼き。」

でした。


そして子どもの頃、

すき焼きといえば、父の給料日だけのご馳走でもありました。

給料日の夕方になると、


母が少しだけいい肉を買ってくる。

父が帰ってくるのを待って、

ようやく四人で一つの鍋を囲みます。

父が肉を入れる。

弟がすぐに箸を伸ばす。

「まだ煮えてないよ。」

母に怒られる。

私と弟で肉を取り合う。

父が笑う。

母も笑う。

それが、

わが家の給料日でした。


しかし、父が仕事を失った頃から、

給料日のすき焼きは食卓から消えていきました。

父と母の会話も、


少しずつなくなりました。

二人には、


それぞれ事情があったのでしょう。

でも、

子どもだった私たちには、

そんなことは関係ありませんでした。


大人になった弟は、

困っている人の力になれる仕事を選びました。

「人の役に立てるから。」

就職が決まったとき、


嬉しそうに話していました。

けれど、

長くは続きませんでした。

「思ってたのと、ちょっと違った。」

そう言って、

弟は仕事を辞めました。

それからしばらくして、

弟はいなくなりました。

そのことについては、

今でも、

あまり話したくありません。


三人ですき焼きを囲みました。

母が肉を入れる。

父が黙って取る。

私も箸を伸ばす。

ぐつぐつと、

鍋の音だけが聞こえます。

昔と同じ味でした。

でも違う。

ふと思いました。

どうして、

あの子はいつも、

すき焼きと言っていたんだろう。

私は箸を置きました。

「お母さん。」

母が顔を上げました。

「あの子が、なんですき焼き好きやったか分かる?」

母は黙っています。

父もこちらを見ました。

「給料日、、、」

「お父さんが帰ってきて。」

「お母さんが鍋出して。」

「四人で食べてた時のこと。」

言葉にすると、


依然と涙が出てきました。

「あの子……」

「ただ、すき焼きが好きだったのと、違うと思う。」

そして、

言いました。

「あの頃の家での時間が、好きだったからだと思う。」

「あの子がいなくなってしまって、まだバラバラでどうするの。」

父は何も言いませんでした。

母も何も言いませんでした。

また、

鍋の音だけになりました。


家へ帰って、

主人にその日のことを話しました。

主人はしばらく黙って聞いていました。

「俺は、お墓をずっと守っていくことはできんけど。」

「庭に一本、木を植えようか。」

「ハナミズキなんか、いいんじゃないかな。」

そして、

「それなら、お父さんとお母さんも、いつでも来られるのと違う?」


追伸

ハナミズキを植えて、

しばらく経ったある日。

父と母が、

弟に会いに来てくれました。

玄関を開けると、

父が手土産を持って立っていました。

その隣で、

母が笑っていました。

私は二人を庭へ案内しました。

ハナミズキの前に、

父と母が並びました。

久しぶりに見る、


二人並んだ後ろ姿でした。


墓じまいコンシェルジュより

味には、

その人との時間が残っていることがあります。

何を食べたのかではなく、

誰と食べたのか。

一緒に笑ったこと。

同じ鍋を囲んだこと。

亡くなった人を思い出すことで、

残された人の時間が、

もう一度動き始めることがあります。

それもまた、

供養の一つの形なのだと思います。

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この物語は、「お墓じまい後の物語」のオリジナル作品です。

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