「合祀という供養があります。」
その言葉を初めて聞いたのは、
火葬場でした。
葬儀は行わず、
直葬という形を選びました。
あまりにも突然の別れだったので、
何を言われても頭に入りませんでした。
気が付けば、
骨壺は六畳間の衣装ケースの上に置かれたまま。
毎日そこへ手を合わせることしか、
私にはできませんでした。
夫に先立たれ、
私の頭に浮かんだのは、
ただ一つでした。
「これから、どうやって生きていけばいいんだろう。」
主人は長距離トラックの運転手でした。
深夜に家を出て、
昼前に帰ってきます。
いつものように、
ランチジャーへご飯を詰め、
少しのおかずを入れ、
インスタント味噌汁を持たせました。
鼻歌を歌いながら、
「行ってくる。」
そう言って家を出ました。
その、ほんの少し後でした。
スマートフォンが鳴りました。
高速道路で三台の玉突き事故。
主人は、
真ん中の車だったそうです。
最後尾から追突された車が横転し、
事故が大きくなったと、
後で会社の方が教えてくださいました。
そのとき私は、
生まれたばかりの子どもを抱いていました。
泣き声だけが、
部屋に響いていました。
保険金も出ました。
交通遺児への支援もありました。
でも、
未来への不安が消えることはありませんでした。
何より、
あの人がいない。
それが、
どうしても信じられませんでした。
主人とは福島で出会いました。
私が勤めるスナックでのこと、
誰より早く来て、
誰より早く帰るお客さん。
それが第一印象でした。
歌う曲も、
いつも同じ。
河島英五さんの
「時代遅れ」。
「もっと年配の人が歌う歌やと思ってた。」
そう言うと、
主人は頭をかきながら笑いました。
「おじさんに憧れとるんよ。」
そして、
決まってお酒は二杯だけ。
それが主人の決まりでした。
ところがある夜だけ、
違いました。
三杯。
四杯。
気がつけば、
ボトルを二本空けていました。
そして主人は、
ぽつりと言いました。
「俺な……
友達おらんねん。」
その横顔が、
あまりにも寂しそうで。
私は思わず笑って言いました。
「ほんなら、
私が友達になったる。」
主人は、
子どものように笑いました。
それが、
私たちの始まりでした。
やがて二人は東京へ出ました。
主人は大型免許を取り、
「金を貯めて、
また福島へ帰ろう。」
「運送会社をやる。」
「ええ家建てよう。」
それが、
二人の合言葉になりました。
親には反対されました。
半ば駆け落ちでした。
風呂もない古いアパート。
でも、
幸せでした。
主人が帰ってくる時間になると、
鉄階段を上る音が聞こえます。
そのあと、
少し遅れて、
「時代遅れ」の鼻歌が聞こえてきます。
私は急いで夕飯を温めました。
あの時間が、
私たちの幸せでした。
主人が亡くなって一年ほど経った頃、
主人の友人から、
初めて聞いた話がありました。
主人は、
親のいない子供たちのための施設で育ったそうです。
そして、
あの夜、
二本目の酒を飲み干したあと、
主人はこう言っていたそうです。
「俺、
親がおらんかったからな。」
「自分の子には、
絶対に絶対にそんな思いだけはさせたないんや。」
その話を聞いた瞬間、
私の中で、
何かが音を立ててつながりました。
主人は、
お酒が弱かったのではありません。
本当は、
もっと飲みたかった。
でも、
二杯だけ。
それは、
未来のために自分と交わした約束だったのです。

私は泣きました。
そして、
立ち上がろうと思いました。
主人が何としてでも守ろうとした子どもを、
私が守らなければいけない。
合祀という選択も考えました。
でも私は、
粉骨を選びました。
主人を、
子どもの成長と一緒に歩ませたい。
いつの日か、
福島へ帰ります。
主人が夢見たように、
家を建てます。
そして、
両親へ胸を張って言います。
「あの人は、
約束を守りました。」
そう言える日まで、
主人には、
もう少しだけ、
私たちのそばにいてもらおうと思っています。

