母が亡くなって、
十年になります。
母は、元気なころから、
何でも自分で決める人でした。
身だしなみにもうるさく、
「ちょっとそこまでだから。」
と言って出かけようとすると、
「ちょっとそこまでにも、人はいるでしょ。」
なんて言う人でした。
大きな病気が分かったときも、
母はあまり変わりませんでした。
自分で調べて、
自分で決めて、
自分で準備をしました。
お墓のことも、
そうでした。
「お墓って大変じゃない。」
「私は、花の咲く、木々に囲まれて眠るわ。」
母は自分で、
樹木葬を選びました。
そして私には、
「無理に来なくていいのよ。」
と言いました。
「私に何か話したくなったときに来れば、それで。」
そのころの私は、
「そんなもんなの?」
くらいにしか思っていませんでした。
母が亡くなってから、
しばらくは何度も行きました。
でも、
仕事があって、
家事があって、
息子のことがあって。
いつの間にか、
一年が二年になり、
ここ数年は、
行けていませんでした。
ところが最近、
なぜか母のことを思い出します。
料理をしていても。
電車に乗っていても。
鏡を見ていても。
一度思い出すと、
今度は、
無性に会いに行きたくなりました。
しかも、
一人ではなく、
息子を連れて。
息子は、
もう社会人です。
昔は、
私の後ろをついて回っていたのに。
今では電話をしても、
「今ちょっと忙しい。」
「その日は予定ある。」
「また連絡するよ。」
言うことだけは、
どこかのおじさんみたいになりました。
「あんなに可愛かったのに。」
電話を切ってから、
一人で言いました。
「ねえ、今度、おばあちゃんのところ行かない?」
何度か誘ってみました。
「今月はちょっとなあ。」
「日曜日は?」
「日曜も予定あるし。」
「じゃあ、いつならいいの?」
「また連絡するよ。」
また、それです。
来月は、
息子の誕生日です。
それなら、
誕生日プレゼントでも買って、
そのついでに誘い出そう。
そんなことを考えていました。
その矢先、
息子から電話がありました。
「母さん?」
「なに?」
「この前の話だけど。」
「うん。」
「行くよ。」
「え?」
「ばあちゃんのところ。」
思わず、
カレンダーを見ました。
「いつ?」
「○日なら空いてる。」
「ほんと?」
「うん。」
少し間がありました。
「久しぶりに、
ちょっと話もしたいし。」
「……そう。」
電話を切ると、
カレンダーのその日に、
丸をつけました。
それから、
母のところへ行く日を、
指折り数えるようになりました。
息子の誕生日プレゼントも、
結局、買いました。
そんなことをしているうちに、
また母のことを思い出しました。
病気が分かって、
樹木葬を決めたころ。
「無理に来なくていいのよ。」
母は確かに、
そう言いました。
でも、
そのあとにも、
何か言っていた。
ずっと、
そこだけ抜け落ちていました。
ある夜、
ふっと戻ってきました。
母は、
こんなことを言っていました。
「私に何か話したいことがあるときだけ、
来なさいよ。」
そして、
笑いながら、
「今は何言ってるか、
分からないかもしれないけどね。」
少し間を置いて、
「こういうのは、
年とともに、
順番なんだよ。」
「だから、
そんときは、おいで。」
当時の私は、
やっぱりよく分かっていませんでした。
墓参りの日。
朝から、
少しだけ身支度に時間をかけました。
服を決めて、
鏡の前に座りました。
引き出しを開けると、
母の真珠のネックレスがありました。
しばらく見て、
「今日は、これにしよう。」
首につけました。

待ち合わせ場所に、
息子が来ました。
久しぶりに、
ちゃんと顔を見ました。
「あんた……。」
「なに?」
「ちょっと小じわ出てきたね。」
息子が、
嫌そうな顔をしました。
「久しぶりに会って、
最初にそれ?」
「だって、出てるもん。」
「母さんもな。」
「私はいいの。」
「なんでだよ。」
並んで歩きました。
少し前を歩く息子の背中は、
いつの間にか、
ずいぶんたくましくなっていました。
仕事も、
ちゃんと頑張っているのでしょう。
「頑張ってるんだね。」
「なにが?」
「仕事。」
「まあね。」
少し間を置いて、
「その割に、
お母さんには優しくないけど。」
「はいはい。」
やっぱり、
そこは変わっていません。
久しぶりの樹木葬は、
母が選んだころと同じように、
木々に囲まれていました。
花も咲いていました。
息子と二人で、
ゆっくり歩きました。
母のところへ着いて、
手を合わせました。
何を話そうか、
あれだけ考えていたのに。
いざ来てみると、
あまり言葉は出ませんでした。
ただ、
隣に息子がいました。
それでいいような気がしました。
帰り道。
しばらく歩いたところで、
息子が言いました。
「母さん。」
「なに?」
「電話の時、言ってた、
話したいことなんだけど。」
「ああ。」
息子は、
少し言いにくそうにしました。
「会ってほしい人がいるんだ。」
私は、
息子を見ました。
「誰?」
「付き合ってる人。」
「あら。」
「そろそろ……。」
息子は、
少し前を見ました。
「身を固めようかなって。」
私は、
息子の顔を見ました。
「写真ある?」
「……あるけど。」
「見せて。」
「今?」
木々の間を、
風が抜けていきました。
「今。」
――おわり
