【その二十】母と、この団地で暮らし続けます。

正直なところ、

はじめは粉骨という言葉に興味はありませんでした。

ネットで見かけても、

そのまま通り過ぎていたと思います。

私が探していたのは、

樹木葬や合祀墓でした。

だからきっと、

目に入っていても気づかなかったのでしょう。

私たち母子がこの団地へ越してきたのは、

私が物心つく前だったそうです。

私は覚えていません。

でも、

私の人生は、

この団地と一緒に育ちました。

一階にあった本屋さん。

焼きたてのパン屋さん。

文房具屋さん。

子どもの頃の思い出は、

少しずつなくなっていきました。

今も残っているのは、

昔は八百屋だった小さなお店だけです。

「もう年やからなあ。」

「これが見納めやと思といてや。」

そう言って笑う店主さんも、

すっかりこの団地の風景になっていました。

母はそのお店が大好きでした。

「あのおじさん、おもろいねん。」

そう言っては、

買い物のたびに笑って帰ってきます。

「わしが店やめたら、

あと継ぎは〇〇さんや。」

「遺書にも書いとくから、

明日も買いに来てや。」

そんな冗談を真顔で言うのだそうです。

母はその話をするたび、

声を出して笑っていました。

母は長年、

給食施設で調理師として働いていました。

私が小学生になった頃、

定時で帰れる仕事へ変わったそうです。

調理師免許も、

ずいぶん遅くに取りました。

ある日、

母がぽつりと言いました。

「もうちょっと若かったら、

うどん屋でもしたかったな。」

私は笑いながら聞きました。

「どこでするん?」

すると母は、

団地の一階にある、

何年も空いたままの喫茶店跡を指差しました。

「管理人さんがな、

あそこやったら、

ただみたいな家賃で貸してくれる言うねん。」

私は思わず笑いました。

「こんな団地で、

誰が食べに来るん。」

すると母はお腹を抱えて笑いながら、

「百円うどん屋や。」

「私の体重で踏んだら、

しこしこの麺できるで。」

そう言いました。

今思えば、

私はあの時、

「一緒にやろう。」

その一言を言えばよかったのかもしれません。

母は、

自分のことより、

周りの人のことを考える人でした。

そんな母も、

病気になってからは早く、

あっという間に旅立ってしまいました。

身寄りは私だけ。

お墓もありません。

遺骨を前に、

私は何をしてあげればいいのか分かりませんでした。

樹木葬。

合祀墓。

そんな言葉ばかりを検索していました。

その時でした。

画面の片隅に、

「粉骨」

という文字が目に入りました。

私はそのページを読みました。

読み終えた時、

胸の中へ、

すっと何かが落ちました。

「そうか。」

「いったん粉骨して、

母を手元に迎えればいい。」

そう思ったのです。

私は今も、

この団地で暮らしています。

朝、

ベランダから見える景色。

夕方、

子どもたちの声。

少しずつ変わっていく団地の風景

母は、

きっと今日も一緒に見ています。

あの小さなお店のおじさんが、

「まだ店やっとるで。」

なんて冗談を言えば、

母はまた、

声を出して笑っているでしょう。

私はこの先、

この団地を離れる日が来るかもしれません。

でも、

その時も母は、

また一緒に引っ越してくれます。

昔は、

私が母の後ろを歩いていました。

これからは、

私が母を連れて歩いていきます。

追伸

今日も帰り道、

あのお店の前を通ります。

おじさんは相変わらず、

「今日も売れへんわ。」

なんて言いながら笑っています。

私は店に入り、

牛乳を一本だけ買いました。

「また来るわ。」

そう言うと、

おじさんは、

「遺書、書き直しとくわ。」

そう言って笑いました。

帰り道、

私は母の瓶へ話しかけます。

「母さん、

おじさん、今日も元気やったで。」

風が吹き、

夕日に照らされた団地が、

少しだけ昔の賑わいを思い出したように見えました。

墓じまいコンシェルジュより

「どこに眠るか」よりも、「誰と暮らし続けるか」。

そう考える方も少なくありません。

粉骨と手元供養は、故人を引き留めるためではなく、これからも一緒に時間を重ねていくための、一つの選択肢です。

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この物語は、「お墓じまい後の物語」のオリジナル作品です。

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